筆者の息子と娘は、駐在に付き合って、米国で過ごした時期がある。最終的には米国の大学には進学せず、日本に帰国して、受験をし、大学と高校生活を送っている。もちろん、米国の大学に進学する道は残されていたし、いくつか大学からオファーがあったのも事実だ。しかし、結局は日本に帰った。
駐在に子供を連れていくかどうか悩んでいた時期、みな口をそろえて、子供にとって絶対よかったと思えるから連れていくべきだ。駐在中も、何度となく、行けるものなら行きたい、とか子供には絶対よかったよと言われ続けていたが、付いて来てよかったかどうかは、当の本人にしか結局のところ分からない。筆者は、知った風に言われるのがとてもイヤだったし、今でも本当に良かったのかどうか自問自答をしている。
少し前に、娘の部屋を片付けていたら、次のような作文を見つけた。「周りはみんな外国人、私の聞いたことも使ったこともない言葉をしゃべり、不安が一気に襲ってきた。知っている人以外と話をする気がなくなった。何故なら怖かったからだ」「ほんとはもっと明るい性格なのに、なかなか気軽に話せない自分に腹が立ち自分のことが嫌いになった。」
家では笑顔で過ごしてくれていたので、心が痛かった。彼女は、父の駐在が終われば日本に戻れると思い、それで、つらい米国での生活を乗り切ったのだと思う。多感な小学校と中学校をそのような状態で過ごし、活発にはなり切れなかったのだろう。今は高校生活が楽しく、心配いらないよと言ってくれる。
一方留学生は、自分の思いで米国に渡り勉強をしている。その点、筆者の娘とは大きく違うが、それでも楽しいことばかりではないのだろうと思う。
確かにアメリカ人は話しかけると軽快に答えてくれる。ただそれが心の底から通い合った結果かというと決してそうではない。異なる人種間ではどうしても壁はある。それは決して差別ではないが、日本語で英語にならない言葉と、英語で日本語にはならない言葉があるようなものだ。
米国への留学生が減っている主たる理由は、留学後の就職が米国ではできないことなのだろう。米国で暮らして米国で生活するそれが永遠に続くことよりも、日本で居心地よく暮らしたくなること。語学力がやはり不足すること。必要とされる職種を対象にしてそもそも留学できていない。などが考えられる。留学を勧める人は、留学制度の話はするのだろうが、その後の話を本気でしているだろうか?留学のメリットは日本での就職を前提に定義されていないだろうか?
もちろん、自分の意志で米国に来られ、ひたすら努力をして、現状を勝ち取られておられる方もいっぱいいると思います。しかしそういう人たちばかりではなく、つらい日々を送っている帰国生や、留学生がいることも知っておいてもらえたらと思います。
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